外履きのバッシュに桜がついてくるすぐに着くから差してない傘
岡野大嗣『音楽』
岡野大嗣の第三歌集『音楽』(2021年)に収められた一首です。
この歌は日常の一場面といえば一場面ですが、「外履き」「バッシュ」「桜」「傘」といった名詞が並ぶことと、「差してない」という否定が入ることで、なかなかに興味深い一首になっていると思います。
バッシュとはバスケットシューズのこと。「外履き」とあるので、内履き用と区別して使用しているのでしょう。
季節は桜の咲く4月。雨で桜の花びらが地面に散ってしまっている光景を思い浮かべました。外履きのバッシュで雨の降る中を走っていると、そのバッシュの靴底や側面に桜の花びらが何枚か付着してきたのでしょう。
行き先は遠いところではありません。すぐ着く場所です。だから傘を差していないと詠われているのです。
この歌の一首前には次の歌が置かれています。
春としかいいようのない夜 ゆびにCDはめたまま会いにいく
会いに行く相手は親しい間柄でしょう。指にCDを嵌めたまま会いに行くのは、早く音楽を一緒に聴きたいからでしょうか。とにかくCDを嵌めたまま向かっていけるほどの距離なのです。
掲出歌に戻りましょう。
実際、掲出歌では傘を差していないのですが、どうしても「傘」の映像が浮かんできてしまいます。差していないのですから、そこに傘は登場しないのですが、「差してない傘」と改めていわれるとどうしても想像してしまうものではないでしょうか。
これは、藤原定家の名歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の「見せ消ち」の技法を思い起させるでしょう。
掲出歌は、傘が差されていないにも関わらず、傘の景を読み手の中に浮かび上がらせる一首になっていると思います。上句の具体性と、下句のイメージ喚起力がうまく組み合わさった歌ではないでしょうか。