なくしそうな傘と電車に揺られおり正直に謝ればよかった
中沢直人『極圏の光』
中沢直人の第一歌集『極圏の光』(2009年)に収められた一首です。
雨が降りそうだ、あるいは雨が降っているという状況で傘をもち歩くとき、電車の車内は同じようにみな傘をもっていることが多いのではないでしょうか。
「傘と電車に揺られおり」というのは、日常の一場面としてよくあるでしょう。
しかし、この歌では「なくしそうな傘」という限定がなされています。この表現がこの一首に独特の雰囲気を与えているのではないかと思います。
「なくしそう」ですから、その傘はまだ手元にあるわけですが、今後その傘をなくしてしまうかもしれないと主体は感じているわけです。まだなくしたわけではないのに、なくす前から「なくしそう」と感じているところに、通常とは異なる時間なり状況なりが主体には流れているのかもしれません。
ここで登場するのが「正直に誤ればよかった」というフレーズです。ここには相手の存在が浮かび上がります。ある出来事があって、それが謝るべきことかそうでないことかはわかりませんが、実際は謝らなかったのです。しかし、今振り返るとそれは「正直に誤ればよかった」のかもしれないと主体は思い返しているのでしょう。わずかの後悔といったものも含まれるでしょう。
このフレーズと傘とは直接的には関係ないのかもしれませんが、「正直に誤ればよかった」という思いが「なくしそうな傘」に結びつくことで、何か意味をもちはじめるような気がします。もちはじめるというよりも、読み手が何か意味があるのではないかと関連づけて読んでしまうという方がより正確かもしれません。
この傘はなくしても、後悔のない傘なのでしょうか。それともなくすと困る傘なのでしょうか。なくしたくないといくら思っても、やがてなくすという状況を止めることはできないのでしょうか。
傘に代表されていますが、傘に限らずとも、今手元にあるものがいずれ消えてしまう、そのような未来を予感してしまっているところに、少しの寂しさを湛えた一首なのではないかと思います。