傘を振り落ちないしずくと落ちるしずく何が違っているのでしょうか
工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』
工藤吉生の第一歌集『世界で一番すばらしい俺』(2020年)に収められた一首です。
雨傘のしずくを掃おうとしたとき、確かに落ちるしずくと落ちないしずくがあります。
掲出歌は、なぜ落ちるのと落ちないのとがあるのかという疑問をストレートに投げかけています。クイズ形式のような読み手に対する問いかけというよりも、自身の疑問として浮上してきたことを自分自身に問いかけているような印象があります。
さてこの一首で、一体何を読み手に訴えかけようとしているのでしょうか。
実はあまり深い意味はないのかもしれません。日常の中のふとした疑問が五七五七七という短歌の形式に乗ったとき、何かしら意味があるように感じてしまうものですが、それは読み手が勝手に想像している場合もあるでしょう。
深読みすれば、この「しずく」を人間や人生と例えることもできるでしょう。「傘を振り」は人生における苦難や障害と捉えれば、それらに耐えて落ちない人間もいれば、耐えきれずに振り落とされてしまう人間もいると読むことも不可能ではありません。自分自身の人生と重ねて読むこともできると思います。
このあたり、どのように捉えるかは読み手の自由にあるため、一首から想像するものは様々です。
日常の中のふとした疑問を詠いながら、どこか抽象度の高さを思わせる一首だと感じます。