老人になったら派手な服装で脈絡のない将棋をさすんだ
谷川電話『深呼吸広場』
谷川電話の第二歌集『深呼吸広場』(2022年)に収められた一首です。
「老人になったら」とあるので、主体はまだ老人ではないのでしょう。つまり、現段階では「派手な服装」でもないでしょうし、「脈絡のない将棋」を指してもいないでしょう。
ここで感じるのは、主体は本当に将棋を指す気があるのかどうかということです。
「老人になったら」という条件が提示されることで、将棋を指すという行為をどこか遠い未来に追いやっているようにも感じます。
いや、正確には現在も「将棋」は指しているかもしれませんが、「脈絡のない将棋」を指すことは現状行っていないのかもしれません。また「派手な服装」も、今は派手な服装はしていないけれど、老人になったら派手な服装をするということなのでしょう。
ただ、この歌から「派手な服装」も「脈絡のない将棋」も、どうも本気度を感じないのです。
それはやはり初句の「老人になったら」という表現でしょう。「派手な服装」も「脈絡のない将棋」もどちらも今実現しようとすればできることでしょう。これらは、億万長者になってビルを買うといった、時間をある程度かけないと実現できないこととは違います。これら服装と将棋を老人になってから実施しようと詠われることで、今現在の本気度がそれほどないように感じてしまうのです。
勘違いしないでいただきたいのは、本気度がないから駄目というわけではありません。
老人になったら、派手な服装で脈絡のない将棋を指すことを想像することが、今現在の主体にとって一番楽しいことなのではないでしょうか。それは、実際に今派手な服装をしたり、脈絡のない将棋を指したりすること以上に楽しいことであり、現実に忠実な行為なのかもしれません。
老人になったときの自分の行動を思い描くこと、これこそが今現在の主体のリアルなのかもしれません。
主体が老人になったとき、実際に歌の通りの姿で将棋を指しているのか、この歌の中ではその瞬間は永遠に訪れないからこそ、読み手は自由に想像する楽しみがあるのだと感じます。



