母さんの入院中に父さんはチキンラーメンばかり煮ていた
木下龍也『オールアラウンドユー』
木下龍也の第三歌集『オールアラウンドユー』(2022年)に収められた一首です。
母が入院した、そのとき父はチキンラーメンばかり煮て食べていた、という場面で特にわかりにくい言葉もわかりにくい状況もありません。
この何でもないような場面が短歌になるのかと疑問に思う人もいるかもしれませんが、この歌は123首という決して歌数の多くない本歌集の一首として収録されているのです。つまり著者にとっては、いい歌あるいは思い入れのある歌なのではないかと推測できます。
さて掲出歌を表面的になぞれば、単に母がいないから父はチキンラーメンを食べていたということですが、何度も読んでいるうちに、なかなか味わい深い歌ではないかと思わされます。
ここには三人の人物が登場します。母さん、父さん、そして子である自分です。
父さんはあまり料理ができないのかもしれません。もしくはつくろうとすればつくれるけど、普段は料理のことは母さんに頼りきりになっていて、母さんがいざ入院すると、自分で料理をつくるという状況にはならないのかもしれません。
ですから「チキンラーメンばかり煮ていた」となるわけです。ラーメンを茹でることくらいはできるので、仕方なく同じことを毎日繰り返して、チキンラーメンという同じ食べ物を繰り返し食べていたのです。母さんの料理を食べたいと思いながらも、チキンラーメンを煮るという行為が繰り返されているのです。
しかしこうも考えることができます。父さんはもしかしたらチキンラーメンが大好きなのかもしれず、その場合は、仕方なくではなく、毎日チキンラーメンを思う存分食べることができてうれしいという、まったく反対の状況になります。このあたりは読み手の取り方次第かと思います。
ここに子である自分の視線が入ってくるのですが、父さんがラーメンを煮る行為をただ眺めているだけなのです。一緒に住んでいるのかもしれませんし、別々に住んでいるのかもしれません。いずれにしても、自分は父さんのために料理をつくったり、食べるものを渡したりするわけでもなさそうで、父さんがチキンラーメンばかり食べていることを、間近であるいは遠く離れたところから見ているだけ、理解しているだけなのです。
この歌の面白さは、母さんと父さんの関係性に加え、父さんと自分の関係性が暗に描かれているところだと思います。干渉するわけでもなく、音信不通というわけでもなく、父さんとの微妙な距離感というものがよく表れていると思います。
母さんの入院中にチキンラーメンばかり煮る父さんの姿は、子である自分によって眺められることによって、より一層味わい深い存在として立ちあがってくる、そんな印象を受ける一首ではないかと思います。