次の歌の【 ① 】に入る言葉は何?
〈【 ① 】みたいな声でそのひとは 心が寡黙、とみずからを言う〉 (大森静佳)
A. 紙やすり
B. 顕微鏡
C. マドレーヌ
D. コースター
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A. 紙やすり
紙やすりみたいな声でそのひとは 心が寡黙、とみずからを言う
掲出歌は、大森静佳の第三歌集『ヘクタール』の一連「ふたたび」に収められた一首です。
「紙やすりみたいな声」とは一体どんな声でしょうか。
さらさらの紙でもなく、冷え冷えとした金属のやすりでもなく、その間をとったような「紙やすり」。紙やすりは粒度によって種類がたくさんありますが、表面の目が粗いことには変わりありません。「紙やすりみたいな声」とは、少しざらざらとした声といったイメージでしょうか。
さて「そのひと」は、そのざらついた声で「心が寡黙」と自分のことをいったと詠われています。
「寡黙」とは言葉数が少ないことを意味しますので、通常は「心」に対して使う言葉ではありませんが、この歌では「心が寡黙」と詠われており、その発言に違和感と同時に独自性が表れているように思います。
「心が寡黙」とは、言葉数が少ない人のように物静かな心をもっているということを想像します。あらゆる出来事に対しての心の反応が薄いということかもしれません。「心が寡黙」からは熱量をあまり感じず、やはり静かな印象だけが伝わってくるようです。
しかし一方で「そのひと」は自らの心の状態を客観的に見ることができる目をもっていることも確かなように思います。もっと踏み込めば、「そのひと」は心の状態を冷静に見つめるだけでなく、より寡黙にもなれるでしょうし、わずかに熱量を加えることも操作できるのではないかとさえ思ってしまいます。
「心が寡黙」が「紙やすりみたいな声」で発語されたところに、この歌の眼目があるのでしょう。そのわずかにざらついた声は、心が寡黙であることを全肯定しているのではないのかもしれないと感じさせてくれます。心が寡黙であることを自らいってしまうところに、紙やすりのざらつきが滲み出ているようにも思います。
心をざらざらと磨き続けていくざらつき感は、単純には測れない心の表面にいつまでも残り続けているようにも感じ、印象深い一首です。