〈たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意〉という巻頭歌で始まる、岡野大嗣の第二歌集は何?
『たやすみなさい』
『たやすみなさい』は2019年(令和元年)に出版された、岡野大嗣の第二歌集です。
忙しない日々の中で、日常のほんの小さな出来事を多くの人は忘れてしまいます。抱えずに置いてきたそのような小さな出来事を、著者は拾い上げ歌として届けてくれる、そんな一冊だと思います。
本歌集を読むと、かつてそういうことあったなあ、懐かしいなあと感じる歌に多く出会うことができます。それは実際に詠われている内容と同じ経験をしたというよりも、その歌から伝わってくる感情と同じ感情を抱いたことがあるという意味においてです。
これらの歌を読むと、忘れていた記憶へ橋が架かり、そのときの感情があふれてくるのです。ひょっとすると、いま歌を読んで感じた思いと、過去自分が体験したときに感じた思いはまったく同じものではないのかもしれません。しかし、過去の記憶へリンクすることができるほどの感情を感じさせてくれる歌々であり、何よりも読んでいて気持ちがいいのです。
著者はあとがきで次のように述べています。
この本に収めた短歌に主体があるとするならば、かつて沸き上がって折に触れて思い出す気分、その気分の背景にある時間と光景だ。
あとがき
「気分」という言葉が使われていますが、隅っこに眠っていた小さな記憶を再び呼び戻してくれる「気分」が歌から伝わってきます。
本歌集の中にはつくり込んだ歌と感じる歌もありますが、それよりもあまり手つきの見えない歌に特に惹かれます。自然にかつての「気分」が思い出される、そのような歌に魅力を感じます。
また他の特徴として、否定的な視線が少ないという点があると思います。「ないもの」「不足しているもの」を詠うのではなく、「あるもの」「足りているもの」が詠われているところに、思い出される時間と光景がとても心地いいものになるのではないでしょうか。
心地いい気分のまま「たやすく眠れる」ようにしてくれる歌、そんな歌がたくさんつまった一冊だと思います。
『たやすみなさい』から五首
ポケットに入れた切符がやわらかくなるまでひとり春を寝過ごす
もう一軒寄りたい本屋さんがあってちょっと歩くんやけどいいかな
写メでしか見てないけれどきみの犬はきみを残して死なないでほしい
綺麗な羽してるなあとで調べよう覚えてたらでいい調べよう
二回目で気づく仕草のある映画みたいに一回目を生きたいよ