〈あとさきのはかなさを言ひまた言へり無人駅舎に散る夕ざくら〉という巻頭歌で始まる、永田和宏の第十二歌集は何?
『夏・二〇一〇』
『夏・二〇一〇』は2012年(平成24年)に出版された永田和宏の第十二歌集です。
著者は、2010年8月に妻の河野裕子を癌で失いました。本歌集は、その前後の期間にあたる2007年から2011年までの作品568首が収められています。
短歌に対する誉め言葉は「巧い歌」よりも「いい歌」ではないでしょうか。「いい歌」の定義は簡単にはできませんが、ここでは単純に巧いだけではなく、読んでいて心地よい短歌というふうに捉えておきます。
背後にいくらテクニカルな巧さがあったとしても、読み手にそれを感じさせずに詠われた歌の方が「いい歌」として読み手を惹きつける短歌なのだと感じます。
長年短歌の前線で活躍してきた著者は、巧い歌をつくろうとすればいくらでもつくれるでしょう。しかし、本歌集に収められた歌はそのような巧さが前面に出た歌よりも、もっと言葉の流れが自然で余裕がある歌が多くを占めていると感じます。
もちろん妻・河野裕子との関係性や癌の再発という深刻な状況という背景を抜きには語ることはできませんが、そのような背景があるからこそ、巧さはかえって空々しさにつながってしまうのだと感じます。
ですから本歌集では、どちらかというと何気ない、場合によっては言葉遣いも平凡な歌が「いい歌」のように感じられます。これは一首一首を独立して読む場合には見どころの少ない一首でも、連作を通して、また歌集を通して読む場合、それら一首一首が「いい歌」に思えてくる、そんな歌々にあふれた一冊だと感じました。
ぜひ一冊を通して読んでほしい歌にあふれた歌集です。
2013年、本歌集にて第6回日本一行詩大賞受賞。
『夏・二〇一〇』より五首
宇宙物理の角を曲がれば厩舎なり昔のままなり干し草のにほひ
白梅をわたりくるとき濾されたる光かすかな潤ひを帯ぶ
一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ
歌は遺る言葉は遺る声だつて遺せるしかし匂ひそのほか
あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない