ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る
小島なお『乱反射』
小島なおの第一歌集『乱反射』(2007年)に収められた一首です。
パソコン、スマホなどの電子機器を一人一台所有する、いやそれ以上に一人複数台所有するのが当たり前の時代となりました。かつては、パソコンも携帯電話も価格が高く、一家に一台あればよく、もっていない人が大勢いた時代を考えると、情報における時代が変わったと感じます。
近頃は、メール、LINE、X(旧Twitter)、Facebook、InstagramなどのSNSのやりとりを毎日のように行い、パソコンやスマホを触らないという日があるという人の方が少ないのではないでしょうか。
さて掲出歌は、少し前に読まれた歌ではありますが、すでにインターネットは普及し、情報化時代だからこそ詠まれた一首だと思います。
夕焼けを一人見たのですが、その夕焼けが「きれいすぎた」ので、しばらくその夕焼けを心の中に留めておきたくなったのでしょう。
大抵の場合、そういった感動するできごとが起こったとしても、いつの間にか日常の生活に埋もれて、感動は薄れさっていくものです。それは慌ただしい時代、情報化の時代ということと無縁ではないかもしれません。情報を通して、常に誰かとやりとりがある、誰かとの関係性の中にいるという状態が日常となっている中、夕焼けのきれいさを留めておくこと自体が難しい環境となっているともいえるでしょう。
しかしこのような環境において、主体は「メールを見ないで眠る」という行為によって、きれいすぎた夕焼けに対する思いを長く留めておこうとしているのです。
メールは自分の都合というよりも、どちらかといえば相手の都合です。相手が何かしら用事なり連絡なりがあるから(あるいは大した用事がなくても)メールが届くのです。
そんなメールを見るという行為が、きれいすぎた夕焼けへの感動の中にいる自分を、たちまち日常に連れ戻してしまいます。夕焼けという大きな存在に対して、メールというものはとてもささいなことなのですが、その些事の力が思いのほか強大で、夕焼けを見た感動などというものもあっという間に奪ってしまうのです。
メールを見ないひととき、それによって得られる穏やかさや感動の持続といったものは、情報にあふれる時代だからこそ、より一層貴重なことではないかと感じさせてくれる一首です。