人生の歌 #99

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人生の短歌

三十分ゴルフの話ばかりして三十分減るおれの人生
ユキノ進『冒険者たち』

ユキノ進の第一歌集冒険者たち(2018年)に収められた一首です。

人生は有限です。「三十分」を何に使うかは各人の自由ですが、その三十分が自分にとって有意義な時間なのか、それとも無駄にしたと感じる時間なのか、その積み重ねによって人生というのはいいものと感じもすれば、つまらないと感じるものともなるでしょう。

掲出歌は、ゴルフの話が出てきますが、職場での会話の場面でしょうか。

「三十分減るおれの人生」といういい方から、主体はゴルフの話が好きではないのでしょう。ゴルフ自体をしないのかもしれませんし、興味がないのかもしれません。

とにかく「三十分ゴルフの話」につきあわされた状況だと思います。したくもないゴルフの話に三十分費やしたわけです。それは、この三十分を無駄にしたという感覚なのでしょう。「三十分減るおれの人生」という表現にその思いが滲み出ているように感じます。

一方、同じゴルフの話をしても、その時間を有意義と感じる人もいるわけです。例えば、この歌の状況が職場であって、話の相手がゴルフ好きの上司であれば、その上司はゴルフの話の三十分は実に有意義な三十分だと感じ、人生が三十分減ったなどとは考えもしないでしょう。

しかし、主体にとっては減ってしまったわけです。貴重な人生の時間が。

描写や状況、またいおうとしていることは少し異なるかもしれませんが、本歌集には同じような印象を抱く次のような歌もあります。

双眼鏡で三百円分見る景色 生きることまたいつか死ぬこと

観光地やタワーなど、お金を入れると覗くことができる双眼鏡が設置されていることがあります。「三百円」お金を入れて双眼鏡から景色を眺めた場面でしょう。そのとき双眼鏡から覗くことができるのは「三百円」で買った時間の分だけです。ここにも時間という制限がつくのです。

掲出歌も、双眼鏡の歌も、有限であるという状況が、三十分なり三百円分の時間なりを貴重なものとして感じさせてくれるのでしょう。時間が永遠に続くのであれば、ここまで三十分の使途にこだわることもないかもしれません。

三十分が失われたように感じるのは、時間には制限があるからです。

主体にとって、ゴルフの話は退屈で実につまらないものだったのかもしれませんが、その話につきあわされたことによって三十分が減ったと感じさせてくれたわけですから、時間の貴重さを教えてくれたという意味においては、ゴルフの話の三十分は無駄ではなかったのかもしれません。

これ以降、主体は時間を本当に自分が大切だと感じることだけに使っていくのでしょうか。もうゴルフの話につきあうことはないのでしょうか。ゴルフの話をされたら、きっぱりと断る決意をしたのでしょうか。

そんな色々なことを想像させてくれる一首だと思います。

ゴルフ
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