生くるとは慣れぬことがらに出会ふこと熟していくこと羊雲みあぐ
秋山佐和子『豊旗雲』
秋山佐和子の第八歌集『豊旗雲』(2020年)に収められた一首です。
生きるということのある定義が示された歌で、この歌では二つが並列されています。
ひとつは「慣れぬことがらに出会ふこと」、そしてもうひとつは「熟していくこと」です。
生きることは、いってみれば未知の事柄にどう向き合っていくかということでもあり、生きていれば当然慣れないことに出会うことはあるものです。むしろ、慣れないことばかりといってもいいかもしれません。
慣れないことに遭遇するのを拒否したくなるときもあるでしょうが、人生というものは慣れないことが訪れるからこそ人生なのであり、だからこそ面白いともいえるでしょう。既知のことばかり起こる人生ではつまらないものになってしまうかもしれません。
もう一点「熟していくこと」ですが、これは出会った「慣れぬことがら」を「熟していく」ということを指していると思います。
仕事でも、恋愛でも、日常の些細な出来事でも、慣れない事柄とどう向き合って、どう対処していくか、それが「生くる」ということなのでしょう。
「羊雲」を見上げたとき、生きるとはどういうことかが主体にふっと湧き上がってきたのかもしれません。あるいは、生きるとは何となくこのようなことだと考えていたものが、羊雲を見上げたときに腑に落ちたのかもしれません。
ここには、ある種の覚悟のようなもの、受け入れた心を感じます。どこか慣れないことが訪れることに抵抗を感じていた主体の気持ちが、この瞬間を境に、その抵抗が取れてしまったのではないでしょうか。
本歌集には次の歌も収録されています。
これからは馴れぬことばかり増えてゆくさういふことなり生くるといふは
こちらも掲出歌と同じような発想の歌です。
繰り返し詠われるということは、それだけ自分自身にいい聞かせているようにも感じられます。
本歌集は夫の病気という重たい現状が終始描かれていますが、その過程で発生する「慣れぬことがら」を受け入れ、それに向き合う自分自身の生き方を肯定する、そんな思いが滲み出ているように思います。
生きるとはどういうことか、それは読み手一人ひとりが考えていくことですが、この歌は気づきとひとつの道筋を示してくれる一首ではないでしょうか。