もう若くないと思えど死には若き齢を生きて朝鵙に遇う
吉川宏志『鳥の見しもの』
吉川宏志の第七歌集『鳥の見しもの』(2016年)に収められた一首です。
人はいつまでを若いと思い、いつからを若くないと感じるのでしょうか。
掲出歌は「もう若くないと思えど」と始まり、主体は自らをもう若くはないと感じています。それは、人生の平均寿命から考えると自分の年齢はもう若くないということなのか、あるいは誰か他人と比較して若くないということなのか、そのあたりは明確ではありませんが、とにかく「もう若くない」と思っていることは確かなようです。
さて、「若くない」とはいいつつも「死には若き齢を生きて」と続いていきます。
自分は若くないと思いながら、「死」という一地点から見れば、今の自分は「若き齢」であると詠っているのです。「死」に到達すれば、そこで人生は終わるため、若いも若くないもなくなります。もっとも年をとった地点が、その人の「死」となるのです。
生誕という始まりの地点を起点に若い・若くないを考えると「もう若くない」と感じる今の自分であっても、「死」という終わりの地点を起点に考えると、今の自分は若いということになるのでしょう。
いつの自分が一番若いかといえば、今この瞬間の自分が一番若いのです。一日過ぎれば一日分歳をとっていくばかりですから、若いという点では今この瞬間が死から最も遠い地点であるでしょう。
そんなふうに感じている朝、鵙に遇ったところが描かれていますが、この鵙に今日この朝この時間に遇うということもまた一回限りのことだといえるでしょう。
そのような一回性の連続が人生を形成しているのかもしれません。その瞬間の貴重さを意識しつつ、その貴重な瞬間の場面をいくつもつなぎ合わせた結果、その人だけの人生がつくられるのではないでしょうか。
死から最も遠く最も若いときは、今この瞬間だけのものである、そんなことを改めて感じさせてくれる一首だと思います。