死ぬまでにせぬこと出来ぬままのこと考へてゐる箸洗ひつつ
近藤かすみ『雲ケ畑まで』
近藤かすみの第一歌集『雲ケ畑まで』(2012年)に収められた一首です。
人生は長いといえば長いでしょうし、短いといえば短いものです。それは人生の捉え方、どの視点から人生を見つめるかによって、長くもあれば短くもあるのでしょう。
中島敦の『山月記』には”人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い”という言葉が登場します。
一生のうちで、何かをやりたい、成し遂げたいと思ったものすべてが達成できるわけではありませんし、”何事”があまりにも大きなものであれば、未完成のまま人生を終えることもあるのでしょう。
さて、掲出歌では、死ぬまでに「せぬこと」と「出来ぬままのこと」に思いを巡らす主体が出てきます。
ここでいう「せぬこと」「出来ぬままのこと」は日常の些事ではないでしょう。「せぬこと」は、するしないの判断を一旦はしたけれど、自分はしないと決めたことでしょう。「出来ぬままのこと」は、主体にとって割と敷居が高いこと、絶対ではないが可能であればやってみたいことなど、少し気合を入れなければできないことを表しているのだと思います。
冒頭に戻れば、人生は何もしないには長すぎるわけで、まだこれからの人生の時間において、行おうと思い立てばできることはたくさんあるでしょう。
しかし、主体はこの時点ですでに、今後の人生において「せぬこと」「出来ぬままのこと」を自ら決定づけてしまっているのです。ただ、今後の人生はどうなっていくかわかりません。「せぬこと」「出来ぬままのこと」と思っていたことが、実は後で実行に移されるという可能性はあるでしょうが、あくまでこの時点においては、未来における行動の一部を既定してしまっているといってもいいのかもしれません。
「箸洗ひつつ」は、飲食という日々の行いの一環における行為ですが、日々繰り返される”食べる”という行為に対して、簡単に達成できないであろう「せぬこと」「出来ぬままのこと」が重く響きます。
人生において何を為すか、そのすべてを為すことが難しい場合、どこかで選択していかなければならないのでしょう。
すること、できることに目を向けるのではなく、しないこと、できないことの方に目を向けている歌ですが、諦念と決断、覚悟の入り交じった思いを感じ、人生について改めて考えさせてくれる一首だと思います。