ゆらゆらと日々は手吹きガラスのやうに揺れてをります不確かなまま
知花くらら『はじまりは、恋』
知花くららの第一歌集『はじまりは、恋』(2019年)に収められた一首です。
「手吹きガラス」は九州・沖縄地方でつくられるガラス製品で、溶けたガラスを吹き竿を回しながら整えていく方法でつくられたものです。
機械的につくった左右対称、点対称といったガラス製品とは異なり、できあがった作品も独特のかたちで味わいのあるものが多いでしょう。
掲出歌は、「日々」をこの「手吹きガラス」に喩えています。
ここで詠われているのは、すでにできあがった手吹きガラスとも採れますが、どちらかというと制作過程でまだかたちの定まらない状態のガラスを指しているのではないでしょうか。
「不確か」と明確に表現されていますが、主体が感じている「日々」は確かなものではないようです。どこか捉えがたかったり、心から納得できないものがあるのでしょう。
「ゆらゆら」「揺れてをります」「不確か」など、安定や固定からは程遠い言葉が繰り返し用いられています。同じ意味合いの言葉が繰り返されているように思えるため、まとめたり、もう少しすっきりさせて別の言葉や状況を追加するという方法も考えられますが、あえてこのように詠っているのではないでしょうか。
それほど「不確かな」「日々」であると感じているのかもしれません。
しかし不確かさの中にも「手吹きガラス」という具体的な語が選択されていることで、この一首は成り立っているのだと感じます。
まだかたちは定まっていないし、揺れているガラスですが、やがては何かしらのガラスのかたちに着地していくわけです。同じように、不確かな日々もやがて日が経てば、やがて確かなものに近づいていくのでしょう。その答えはまだはっきりとはわかりませんが、味わいのある日々になるのではないでしょうか。
現状の揺れを詠いながらも、手吹きガラスの登場によって、その先の日々の確かさの来訪をも想像させてくれる一首ではないかと思います。