逃るるも直に対うもおごそかに一生のこととなりて消えざる
高倉レイ『薔薇を焚く』
高倉レイの第一歌集『薔薇を焚く』(1986年)に収められた一首です。
ある出来事に直面したとき、いくつかの選択肢が与えられると思います。そのときにどの道を選択するか、それは人によってもさまざまですし、状況によっても変わってくるものでしょう。
掲出歌は、そんな場面場面の選択を振り返っている歌ではないでしょうか。
例えば、”今日の昼は何を食べようか”、”どの道を通って駅まで行こうか”といった本当に些細なことも選択といえば選択であり、生きるということは選択の連続であるのかもしれません。
この歌で対象としているのは、このような毎日の些細な選択というよりは、何か大きな選択を迫られる出来事を指しているように感じます。これまでの人生を振り返ると、そのような大きな選択を迫られる場面が何度かあったのでしょう。
その度に主体は「逃るる」もしくは「直に対う」を選択してきたのではないでしょうか。
どちらかを選択すれば、選択しなかったもう一方が気になることもあるでしょう。もしこちらを選択せず、もう一方を選択していた方が正解ではなかったのか、と。
ですから、その場面場面の選択が貴重なものであり、その選択によって人生というのは少なからず決定されてきた部分もあるでしょう。
「一生のこととなりて消えざる」というのは、記憶から消えないという意味合いもありますが、自身の人生に影響を与えているという意味で消えないという点もあるのでしょう。
三句「おごそかに」の一語が非常に印象に残ります。この一語から、主体がそれぞれの場面でどの道を選択するかを真摯に向き合ってきた様子が窺えるように思います。
具体的な出来事は登場しませんが、この歌は出来事に焦点があるのではなく、主体の”選択”に焦点がある歌であり、その選択の深さと、選択がもたらした時間の長さ、奥深さを感じさせてくれる一首ではないかと思います。