本のない本棚皿のない戸棚そんなところに長く長く居た
なみの亜子『鳴』
なみの亜子の第一歌集『鳴』(2006年)に収められた一首です。
「本棚」は「本」を収めるから本棚なのでしょうし、「戸棚」は食器を収めるから戸棚なのでしょう。
もちろん、本棚に本ではないものを置いても構いませんが、それは本を置くためにつくられた本棚に対して、本来の用途ではなく別の用途で使うということになるでしょう。
掲出歌では、本棚と戸棚が登場します。それは「本のない本棚」と「皿のない戸棚」です。
この本棚は空っぽなのでしょうか、それとも本ではない何か別のものが収められているのでしょうか。戸棚も同様です。いずれにしても、本棚には本が、戸棚には皿がないことが示されています。
これら二つが表すのは、”あるべきものがあるべき場所にない”ということではないでしょうか。
我々は特に意識しなければ、本棚といえば本のための棚で本が収められていると考え、戸棚といえば食器のための棚で皿やコップが収められていると考えています。
何の疑問ももたなければ、本棚にとって本があるべきもので、戸棚にとって皿があるべきものでしょう。
しかしこの歌で登場するのは「本のない本棚」と「皿のない戸棚」です。これら二つの「棚」は、これまで当たり前と思っていた考えを揺さぶってくるものでしょう。
したがって四句の「そんなところ」は、しっくりこない、何かがずれている、多数派ではないといった、まさに違和感のあるであろう場所が表わされているように感じます。
そのような場所に主体は「長く長く居た」というのです。
具体的な場所ではなく、二つの喩えを用いることで、簡単に答えが提示されるわけではなく、読み手が主体の思いを奥深くまで探っていけるような一首ではないでしょうか。
「長く長く居た」主体は好意的に捉えていたのでしょうか、あるいは否定的に捉えていたのでしょうか。そのあたりも読み手がこの一首と向き合いながらじっくりと思いを馳せていくことができる歌であり、印象に残ります。