もう少しゆけばかならず楽になる楽になるとぞ歩み来たれる
内藤明『薄明の窓』
内藤明の第六歌集『薄明の窓』(2018年)に収められた一首です。
生きているとどこかでつらい、しんどいと思うときがやってきます。
そのときに何もかも投げ出してしまえばどんなにすっきりするだろうと思いながらも、現状に耐えていかなければならないという状況もあるでしょう。
自分が望む状況ではないのだけれど、その状況を受け入れていかなければならないとき、自分とどう折り合いをつけていくかということを考えていかなければならないのではないでしょうか。
掲出歌で詠われている状況は、かなり長い期間を、楽ではない状態で過ごしてきたのではないでしょうか。
「もう少しゆけばかならず楽になる」と自らにいいきかせて、何とか現地点までやってきたのでしょう。つらい、苦しい状況のときに、どのようにそれを乗り越えるのか、そのひとつの方法として「もう少しゆけばかならず楽になる」といいきかせることがあったのでしょう。
そのいいきかせが、何とか今のところまで連れてきてくれたのかもしれません。それはつらさや苦しさから生まれる充実や実りをもたらしている部分と、一方で”楽ではない”という部分とが同時に存在するでしょう。楽ではないからこそ、もう少しで楽になると思いながらやってきたわけで、とっくに楽な状態であればそのようなことを思うことはなかったでしょう。
「楽になる楽になるとぞ」と、「楽になる」が繰り返されているところに、そのときのつらさ、苦しさの深さが滲み出ているように感じます。
では、主体は現在はすでに楽になったのでしょうか。
どうもそのようには感じられません。「楽になる」といいきかせて何とかこれまでやってきたけれど、これからも同じように「楽になる」といいきかせて歩んでいくのではないでしょうか。
ここでいう「楽になる」はある意味幻想なのかもしれませんが、いつか楽になるという地点を想像するからこそ、現時点のつらさや苦しみを乗り越えて歩み続けることができるのかもしれません。