生きることの反対は死ぬことぢやない休むこと夕焼の向うへ
荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』
荻原裕幸の第六歌集『リリカル・アンドロイド』(2020年)に収められた一首です。
よく”生と死”と対比でいわれるように、「生きることの反対は死ぬこと」だと何となく思っているところがあるのではないでしょうか。
確かに「生」がなければ「死」はないわけで、「生きること」に並び称される出来事として「死ぬこと」を挙げるのはごく自然なことかもしれません。
しかし掲出歌は「生きることの反対は死ぬことぢやない」といいきっています。そう「生きること」の対極は「休むこと」だと詠っているのです。これはなかなか興味深い捉え方ではないでしょうか。
一方「休むこと」の反対は、休まないこと。つまり、「生きること」は休まないことと同じなのです。
休まない人生がずっと続くと想像すると、どこか息苦しく感じてしまいます。だからこそ反対側にあるのは「休むこと」であり、休むことを人は求めるのでしょう。
結句には「夕焼」が登場しますが、夕焼けの向こう側には何があるのでしょうか。夕焼けの向こう側へ求める思いとは何なのでしょうか。
夕焼けの色の濃さは、生きることそのものを表しているようにも感じます。休むことのない人生を表すのに最もふさわしい色、それはきっと夕焼けの色なのでしょう。
人生、走り続けてばかりでは倒れてしまうときが訪れるかもしれません。思い詰めてはよからぬ方向に進んでしまうかもしれません。
夕焼けの向こう側にこそ、生きることの対極に位置するものが存在しているのではないでしょうか。向こう側に思いを馳せるとき、この一首は「休むこと」を思い出させてくれるのです。
実際に休めるか、休めないかはここでは問題ではありません。そんなことよりも、生きることの反対が死ぬことではないこと、生きることの反対は休むことであるということに気づくこと、夕焼けを前にしてそのように思えること、それこそが何よりも大切なことだと感じます。
目の前のことに精いっぱいな毎日ですが、ときには夕焼けを見つめ、その向こう側に思いを巡らしてみたい、そう思わせてくれる一首です。