かがまりてもやしのひげ根をとる厨 些事にこだはる日は平和なれ
蒔田さくら子『標のゆりの樹』
蒔田さくら子の第十一歌集『標のゆりの樹』(2000年)に収められた一首です。
料理にもやしを使うとき、「もやしのひげ根」をとる人とそうでない人がいると思います。またどんな料理にするか、誰にその料理を出すかによっても、変わってくるでしょう。
もやしのひげ根をとる理由は、その見た目や食感が主なものだと思いますが、ひげ根をとった方が長持ちするようです。
掲出歌は、体を小さく丸めてもやしのひげ根をひとつひとつとっている場面が詠われています。
そして、もやしのひげ根をとる行為を「些事」と詠っているのです。ひげ根をとってもとらなくても、そのまま調理して食べることができるわけで、確かにもやしのひげ根をとる行為は「些事」といえば些事と呼べるものかもしれません。
けれどもこの日の主体はそんな些事にこだわって、ひげ根をとっているのです。そして、そんな一日を「平和」だとつくづくと感じているのでしょう。
「平和」であるからこそ、もやしのひげ根をとるといった些事にこだわることができるのかもしれません。緊急事態であったり、日々に余裕がなければ、もやしのひげ根をとるという行為はたちまち優先順位が下がってしまうでしょう。
もやしのひげ根をとるという具体的な行為を通して、些事にこだわることができることのありがたさがあふれ出ている、そんな一首だと感じます。
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