人生をある朝とつぜん理解するブロッコリーが嫌ひだつたと
沢田英史『異客』
沢田英史の第一歌集『異客』(1999年)に収められた一首です。
人生とは何なのか、簡潔に説明できる人は少ないかもしれません。それほど人生というものは奥深く、予期せぬことが起こり、わからないことだらけで、時間的に長いといえば長いものでしょう。
掲出歌は、そんな「人生」をある日の朝に「とつぜん理解」したというのです。
つまり、これまでは理解していなかったということもできます。それが何がきっかけかわかりませんが、理解する瞬間が訪れたのです。
しかし人生の全貌を理解したという感じでもなさそうです。下句には限定があり、「ブロッコリーが嫌ひだつたと」と続いていくからです。
「理解する」前までは、ブロッコリーを特段嫌いなものと認識していなかったのでしょうか。それが、ある朝急にブロッコリーが嫌いだったと感じたのでしょう。
それは単にブロッコリーが嫌いだということに留まらず、何かこれまで霧がかっていた、人生に対する認識がすっきりと晴れたような感覚になったのではないでしょうか。
ブロッコリーが嫌いという認識を得たことで、不透明だったものがクリアになったのでしょう。
ブロッコリーというたったひとつのものに対する考えが変わることで、まるで究極の解を見つけたような、そんな朝だったのではないかと想像します。
「人生をある朝とつぜん理解する」という瞬間は誰にでも訪れる可能性があり、それは何も高尚なものに関連するのではなく、日常の中の身近なものからもたらされるのかもしれません。
各人に「ブロッコリー」に相当するものがきっとあるのだろうと、そんなふうに感じさせてくれる一首です。