たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて
服部真里子『遠くの敵や硝子を』
服部真里子の第二歌集『遠くの敵や硝子を』(2018年)に収められた一首です。
動力源をもたない紙飛行機は、投げるときの手の力、そして風によってどこまで飛距離を出せるかが変わってくるでしょう。
掲出歌は、「紙飛行機」の「加速」を見せてほしいといっているのですが、それはただの紙飛行機ではありません。ここで詠われている「紙飛行機」は「たましい」そのものなのです。
「たましい」を飛ばすということは、その人がもつ最も根源的な何か、あるいはその人そのものを飛ばすということなのではないでしょうか。うまく飛行すれば、それはうまくいったといえますし、あまり飛距離が伸びず、すぐに落ちてしまえば、それはあまりうまくいかなかったといえるかもしれません。
直接、人生がどうと詠われているわけではありませんが「たましい」という言葉から、また「一度きり」という語から人生そのものを想起します。
「一度きりの加速を見せて」から、一度きりだからこそ、その紙飛行機の飛行が尊いものになりますし、他にとって代わることはできない唯一のものとして、捉えられるでしょう。
やがて速度が弱まり、地面に落ちる未来があるとしても、飛行の最中の美しさが消えることはありませんし、まして「一度きりの加速」はその中でもハイライトに当たる部分ではないでしょうか。
「たましい」が魂のままではなく、「紙飛行機」に重ね合わされることで生まれるイメージが、爽快で清々しく、希望を湛えたものに転換されている一首だと感じます。
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