人生の歌 #69

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人生の短歌

盛り上がり水くづれたり 老いながらまたあたらしく明日へ運ばる
横山未来子『水をひらく手』

横山未来子の第二歌集水をひらく手(2003年)に収められた一首です。

湧き水、池の水、あるいは噴水などをイメージしてもよいかもしれません。水が上方へ盛り上がろうとする状態を見ることはありますが、いつまでも盛り上がり続けるわけにはいきません。盛り上がった水は、いつか、どこかのタイミングで必ず崩れてしまうのです。しかし崩れても崩れても、再び水は下から上へ盛り上がろうとするのです。それはずっと繰り返される姿なのかもしれません。

初句二句の「盛り上がり水くづれたり」からはそのような情景を想像することができるのではないでしょうか。

三句以下は主体自身のことをいっているのでしょう。人は歳をとるものです。一日経てば、一日分の歳をとるのです。「老いながら」はまさにこのことで、今日を生きて、明日を生きるということは、歳をとることに他なりません。

しかし「明日」は今日という日の繰り返しではなく、新しい側面ももっていることでしょう。同じように見える毎日でも、微細な点でいえば、全く同じということはありません。「あたらしく明日へ運ばる」というのは、自分の意思で明日へ向かうというよりも、何か大いなる力によって生かされている、そんな印象がこの言葉からは感じられます。

水が盛り上がり、また崩れるように、日々というものも浮き沈みはあるでしょう。ずっとうまくいきっぱなしということもなく、ずっと負けっぱなしということもなく、大抵は勝ち負け、いい悪い、浮き沈みを繰り返しながら、それでも何とか進んでいくものだと思います。人生というのは、正と負のどちらかに偏るというのではなく、正と負の間をいったりきたりしながら展開されるものではないでしょうか。

また、人体の約60%は水分でできているといわれますが、水と人との関係は切ってもきれないものでしょう。この歌では、はっきりと水と人との関係に触れているわけではありませんが、背後で水と人が響き合っているような印象を感じます。

「老いながら」を決して悪いことだけに捉える必要はないでしょう。老いるということはすなわち成長するということでもあるわけですから、「明日へ運ばる」というのは希望を備えた出来事といえるのではないでしょうか。特に「あたらしく」が肯定的な面を補強する役割を果たしているように感じます。

水の盛り上がりから人生へスムーズに展開された一首で、難しい言葉が使われていない分かえって奥深さを湛えているようで、印象に残る歌になっていると思います。

水の盛り上がり
水の盛り上がり

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