かみの毛をうかべたような雲がありここからはずっとチャンスなんだ
我妻俊樹『カメラは光ることをやめて触った』
我妻俊樹の第一歌集『カメラは光ることをやめて触った』(2023年)に収められた一首です。
この歌には「かみの毛」「チャンス」という言葉が詠われており、この歌を読んだとき、「チャンスの神様は前髪しかない」という言葉を思い出しました。これはチャンスの神様は前髪しかないので、向こうからやってきたときにすぐにつかまなければ、後からつかまえることはできないという意味の言葉です。チャンスは訪れたそのときにつかまなければ、つかめないのです。
さて、掲出歌は、神様そのものは登場しませんが、「かみの毛をうかべたような雲」が登場します。この雲は、入道雲のような輪郭がはっきりとしてごつごつとした雲ではなく、巻雲のような薄い感じの雲を指しているのではないでしょうか。とにかく主体は雲を見て、「かみの毛をうかべたような雲」だと感じたということです。そのこと自体で、雲はただの雲ではなく、主体にとっては意味をもった雲に変わったのでしょう。
そして「ここからはずっとチャンスなんだ」と続きます。
なぜ「かみの毛をうかべたような雲」があれば、その後「ずっとチャンス」なのでしょうか。
ここで冒頭に触れた言葉「チャンスの神様は前髪しかない」が思い出されるのです。つまり「かみの毛をうかべたような雲」をチャンスの神様に相当するものと捉えるならば、その雲があるうちはいつでもチャンスをつかむことができるわけです。逆にいえば、その雲が消えてしまえば「かみの毛」も消えてしまうわけで、もうチャンスをつかむことはできないでしょう。
ですから「かみの毛をうかべたような雲」があり続ける限り、主体にとってはチャンスをつかむ機会がずっとそこにある状態といえるのではないでしょうか。
「ここからはずっとチャンスなんだ」という力強いいい方に好感がもてます。物事は捉え方次第ともいえますが、「雲」を見て「かみの毛」を想像し、そこから「チャンス」を思い描く、そのような思考に後ろ向きの要素はほぼ含まれていないように思います。強いていえば、若干自分自身にいいきかせ、自分を鼓舞しているような印象がわずかながらにあるといえばあるかもしれません。
しかし、そのような鼓舞を含んでいたとしても「ここからはずっとチャンス」と生きていくことができれば、どんなに素敵なことか、今後訪れるであろうチャンスを想像しながらわくわくする一首だと感じます。