人生の歌 #63

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人生の短歌

死ぬ気持ち生きる気持ちが混じり合い僕らに雪を見させる長く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

堂園昌彦の第一歌集『やがて秋茄子へと到る』(2013年)に収められた一首です。

日々生きていく中で、気持ちの変化というのは絶えず訪れるものかもしれません。その変化は、年単位であったり、月単位であったり、日単位であったり、あるいは一日の中に何回もやってくる場合もあるでしょう。またたったひとつの気持ちだけが心の中を占める場合もあるでしょうし、気持ちが複雑に絡み合うという場合もあるでしょう。

掲出歌は、「死ぬ気持ち」と「生きる気持ち」が混じり合った状態を詠っています。うれしい、かなしいといった感情ではなく、「死ぬ」と「生きる」にはこれ以上ない両極端の「気持ち」であるように思いますが、そのような気持ちが入り混じるところには、生きていく上でのあらゆる「気持ち」が含まれているように感じます。

さて、気持ちが混じり合った「僕ら」の目の前には「雪」が降っているのでしょうか。

雪を見ているのではなく「見させる」となっているところが、この歌のポイントであり、ここで読み手は少し立ち止まるように思います。「僕ら」が自らの意思で見ているのではなく、何らかによって雪を見させられているのです。「雪を見させ」ているのは一体誰、あるいは何なのでしょうか。

人間には見えない大いなる存在のようなものが見させているとも考えられますが、ここでは上句の表現を重視し、「死ぬ気持ち生きる気持ち」が混じり合った状態こそが、「僕ら」に雪を見させていると捉えたいと思います。

つまり、これらの気持ちがなければ、今「僕ら」は雪を長く見ることもなかったのではないでしょうか。雪の前に長い時間いる光景が浮かびますが、それは「死ぬ気持ち生きる気持ち」が混じっているからであり、その気持ちの整理がつかない状態こそが雪の降る景色の前に「僕ら」を佇ませているともいえるでしょう。

この雪は積もっている雪とも採れますが、静的な積雪よりも動的な降雪の方が、気持ちの混じり合う様子と重なり合うような気がして、降っている雪の景と採りました。

語順の配置が効果的で、結句に置かれた「長く」から、この後もずっとこの雪を見つめる「僕ら」の光景を想像させ、具体的な言葉があまり多く用いられていないにもかかわらず、映像が浮かぶようで印象に残る一首です。

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