辛い一生と楽しい生活の間には人間関係というものがある
生沼義朗『関係について』
生沼義朗の第二歌集『関係について』(2012年)に収められた一首です。
生きていく上で人間関係を避けて通ることはできないでしょう。
いい人間関係であれば、何も避けることはないのですが、人間関係というときは大抵、よくない人間関係を指すことが多いものです。
掲出歌は人間関係について詠った歌ですが、人間関係の所在を面白い位置づけとして捉えています。それは、人間関係が「辛い一生」と「楽しい生活」の間にあるという捉え方です。
まず、「一生」という長いスパンで時間を見た場合、それは「辛い」という認識が示されます。そして「生活」という割と短いスパンで時間を見つめた場合、それは「楽しい」ものであると捉えられているわけです。
実際には日々の「生活」にも辛いことは存在するのでしょうが、「辛い一生」との比較においては、生きるということの根源的な辛さがないという意味で「楽しい生活」になるということなのでしょう。
さて、そんな時間的にも視野的にも異なる二つの間に「人間関係」があるというのはどういうことでしょうか。
「辛い一生」と「楽しい生活」の間を埋めるものとしての人間関係は、いい人間関係だけでもなく、悪い人間関係だけでもなく、どちらもが混在しているような状態を想像します。
非常に複雑で混沌とした人間関係の集積が、一生と生活の間に横たわり、その人間関係があることで、一生と生活とは何とか関連づけられているのかもしれません。
辛い、楽しいというのは人ぞれぞれ感じる部分は異なるのでしょうが、結局のところ、長期的な一生も短期的な生活も、人間関係なしには存在しえないものなのでしょう。
人との関わり合いにおいて生まれる「辛い」「楽しい」は、人間関係の振れ幅そのもののように思います。人間関係があるからこそそれらの感情が生まれ、人間関係を媒介として「一生」と「生活」は結びつけられていると考えれば、生きていくということは、まさに「人間関係」なしには成り立たないのだと感じます。
生きるということと人間関係について改めて考えさせられる一首ではないでしょうか。