人生の歌 #61

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人生の短歌

生きててもつまらないから生きている 室蘭は焼き鳥の街だし
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』

松木秀の第一歌集5メートルほどの果てしなさ(2005年)に収められた一首です。

この歌を読むと、生きるということがふっと楽に感じられるような印象を受けます。

生きることを考えるとき、何か必死に生きることであったり、何かを成し遂げることが生きることにとって大切だと感じたりすることも多いと思いますが、掲出歌はそんな必死さや前向きさとはほど遠いところにいるようです。

それは「生きててもつまらないから生きている」というフレーズによるものでしょう。「生きている」理由が「生きててもつまらない」というのはねじれており、考えれば考えるほどおかしな気がしてきますが、「つまらない」からこそ生きていけるということなのだと思います。その力の抜けたような提示こそ、この歌のポイントだと感じます。

下句の「室蘭は焼き鳥の街だし」は、上句だけでは観念的になりがちなところを具体例を用いて補強する役目を負っているのでしょう。

上句との照合を考えた場合、場所が「室蘭」である必然性も、食べ物が「焼き鳥」である必然性もなく、別の場所や食べ物でもいいとは思いますが、この限定には作者自身が実際に目にした光景や経験が反映されているように感じられます。仮に違う場所や食べ物が詠み込まれていたとしてもそれはそれで納得するかもしれませんが、この歌の場合、場所や食べ物がどこかということよりも、このように具体的に示されることが大切なのだと思います。

ただ「室蘭は焼き鳥の街だし」といういい方は、上句の「つまらない」感じをちょうどよく表しているようにも思われるので、そういう意味では効果を上げているのかもしれません。

生きていることはそれだけですばらしい。何かを成し遂げる必要もなく、おいしい焼き鳥でも食べて、”人生つまらないなあ、面白いことでもないかなあ”などとつぶやきながら生きていく、案外そういう状態の方が早死にせずに長生きできたりするものかもしれないと感じます。

生きることがつらくなったときは「生きててもつまらないから生きている」を思い出したい、そんな一首です。

焼き鳥
焼き鳥

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