生活というのはわからないけれどあなたと水を分かち合うこと
土岐友浩『Bootleg』
土岐友浩の第一歌集『Bootleg』(2015年)に収められた一首です。
主体はこれから「あなた」と「生活」していくのでしょうか。その「生活」というものが「わからない」と詠われています。
この「わからない」にはもしかするとさまざまな意味が含まれているのかもしれませんが、「生活」は実際に生活してみなければどう展開していくのかはわからないという意味合いを主として捉えておきたいと思います。
「生活」の展開はわからないけれど、下句では「生活」にある定義が与えられています。
それは「あなたと水を分かち合うこと」。
年齢にもよりますが、人の体は約60%が水分でできていますし、「水」なしで生きていくことはできないでしょう。それほど「水」というものは、生きるということに密接な関わりがあります。
その「水」を「分かち合う」のが「生活」だと詠っています。しかもそれは不特定の誰かと分かち合うのではなく、「あなた」と分かち合うことが重要で、この歌においてキーポイントとなっています。
水を「あなた」と分かち合うことが「生活」であり、それはすなわち生きることそのものを指すのではないでしょうか。「あなたと」であるところに、主体と「あなた」との関係性が一気に強まる印象を受けます。
「水を分かち合う」という表現は、日常に照らし合わせたときに具体性の薄い表現だとは思いますが、決して言葉の上だけの軽いいい方ではなく、なぜか納得のいく重みをもった表現のように感じます。
実はこの歌はどこで切って読むかで読み方が変わってくると思います。一つは、三句で意味の切れ目を求める読み方で、生活そのものがわからないという読み方。もう一つは、二句の途中「生活というのは」の後で一旦切る読み方で、生活を定義するにあたって、その定義が確かかどうかはわからないがといった読み方です。
今回は前者で読みましたが、後者の読み方もあるでしょう。このように、どちらかはっきりさせない詠い方、曖昧さ、二重性といったものが、作者の特徴でもあり、この歌についても”ぶれ”のようなものを含んでいることをも楽しめばいいのかもしれません。
いずれにしても「あなたと水を分かち合う」と表現されたところに、力強さを感じる一首です。