一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ
永田和宏『夏・二〇一〇』
永田和宏の第十二歌集『夏・二〇一〇』(2012年)に収められた一首です。
日々の生活を送る中で、一日を無駄にしたなあと思うことはしばしばありますが、一日減ってしまったと感じることは少ないのではないでしょうか。
もちろん人生が有限であることは、誰しも何となくわかっているでしょう。しかし、その終わりは、未来のどこか遠いところで訪れると考えているうちは、また今すぐ人生の終わりがやってくるわけではないと考えている限りにおいて「一日が過ぎれば一日減つてゆく」という思いは湧いてくることはないでしょう。
「一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間」を強烈に意識するのは、人生の終わりが近いうちに訪れるかもしれないという状況があるからではないでしょうか。
時間が有限であると強く意識したとき、残り時間の総量が明確化され、その残り時間は増えることのない限られた範囲であることが改めて感じられたのでしょう。そこから導かれた「一日減つてゆく」という表現からは、一日の重みと密度が滲み出ているように思います。
結句には「夏至」が登場しますが、夏至は昼の時間が一番長い日です。夏至を過ぎれば、後は昼の長さがだんだんと短くなっていくばかりです。その様子は「一日減つてゆくきみとの時間」に重なります。
この歌は、作者の背景にまったく触れずに読むことはできない歌かもしれません。この歌に登場する「きみ」は、作者の妻であり歌人の河野裕子を指しているでしょう。この歌が詠まれた翌年2010年(平成22年)に、河野裕子は病のため亡くなりますが、まさに一日一日がとても貴重であることをこの一首は物語っています。
背景をまったく無視もできず、かといって寄りかかることもできずというケースがあると思いますが、この歌が最も輝く読み方は、作者の背景をうっすらとその背後に浮かび上がらせつつ、一首そのものを前面に立たせて一首の力、表現、リズムなどを存分に味わうのがいいのではないかと思います。
一度読めば忘れられない一首です。