雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』
藪内亮輔の第一歌集『海蛇と珊瑚』(2018年)に収められた一首です。
人生とは、いつも進行形であると感じます。常に時間の最先端にいるのであり、”準備万端になってから、さあスタートしよう”というわけにはなかなかいかないのが「生きる」ということなのではないでしょうか。
掲出歌の「生きながら生きるやりかた」を読むと、まさにそれを感じます。
例えば仕事や取り組みにおいて、準備を万全にしてから始めたいという人も少なくありません。現段階の自分の能力においても、まだその仕事や取り組みを始める時期ではないと先延ばしにするケースもあるでしょう。しかし、100%の準備が整うことはおそらくありません。ですから、準備を完璧にしようと思っていると、いつまで経ってもスタートすることができなくなるのです。
しかし、詠われている「生きる」ということにおいて、準備を万全にしてからということは難しいでしょう。生きることは常にリアルタイムであり、まさに「生きながら生きる」なのだと思います。うまく生きることができていようがいまいが、生きることは待ってはくれません。トライ&エラーの繰り返しで、常にその中に身を投じていなければならない、それが「生きる」ことなのでしょう。
雨の情景が描かれていますが、これによって「生きながら生きる」がよりイメージしやすくなっています。
「降りながら降る」は途切れることない雨の様子を想像しました。雨は雨粒の集合体を指していますが、ひとつの雨粒が落ちていってもまた次の雨粒が落ちてくるというふうに、自分の視野を通過する雨はいつも留まることがない進行形の場面として受けとられるでしょう。
この雨の景が提示されることによって、「生きながら生きる」が納得感をもって読み手に伝わってくるのではないでしょうか。
主体は「生きながら生きるやりかた」を欲しているわけですが、誰に対して「教へてください」といっているのでしょうか。特定の誰かのようでもあり、雨に対してのようでもあり、あるいは大いなる存在に対してかもしれません。ここでは何かひとつに特定しない方がいいように感じます。特定することはこの歌のスケールを小さくしてしまうように思いますし、主眼は何に対してではなく、生きることに目を向け模索している主体の姿そのものにあると思うからです。
留まることなく降る雨に、生きるということを重ねたところ、そして「降りながら降る」「生きながら生きる」という言葉のリズミカルなところが大変印象に残り、一度聞けば忘れられない一首です。