あなたはあなたの脳と生きつつ地下鉄ですこし他人の肩にもたれた
平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』
平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』(2021年)に収められた一首です。
この歌を読むと、あなたとは、そして自分とは何だろうという問いが二つの視点から湧きあがってきます。
一つは「あなたはあなたの脳と生きつつ」という表現からですが、そもそも「あなた」を生かしているのは「あなた」自身なのか、「あなたの脳」なのかという点です。
この歌のように「脳」という言葉が強調されると、普段意識していない自分という存在は何なのかと、改めてその認識を問い直されるようなところがあります。
「と」を並列ととると、「あなた」と「あなたの脳」は分離された存在となりますが、それと同時に「あなた」と「あなたの脳」はどちらかが消滅すればもう一方も消滅してしまうような相互依存の関係でもあるでしょう。
場面としては、地下鉄に乗っていて隣に座っている人の肩にもたれた状況だと思いますが、他人の肩にもたれることを決定したのは「あなた」なのでしょうか、それとも「あなたの脳」なのでしょうか。
自分と他者との間に境界を設けることはよく見られますが、「あなた」と「あなたの脳」のように、ひとりの人間の中に境界を引くことは、そのひとりの構成要素としていくつかのパーツを見いだす見方であると感じます。
また、読むときの音の面においては、「あなたはあなたの」と「脳」の間で一呼吸置くような読み方になると思います。それは「あなたの」の「の」と「脳」の「の」が続いているので、どうしてもそこを縮めて読むのが難しいからです。
初句七音と見れば音の上では「あなたはあなたの」の後で切れることになるでしょう。意味的には「あなたは」と「あなたの脳と」で分かれますが、音の面では「あなたはあなたの」と「脳」の間で分かれているのです。つまり意味の切れ目と音の切れ目がずれていることも、分離と依存のあいまいな様を表しているようにも感じます。
さて、もう一つの疑問は、この歌の「あなた」とは誰なのかという点です。
通常考えれば、自分ではない誰かであり、かつあなたと呼べるほどの間柄の人を指すと考えられます。
その場合、この「他人」は、一般にいう他人を指しているかもしれませんし、あるいは「あなた」から見れば他人のうちのひとりである主体自身のことを指しているのかもしれません。
一方「あなた」をこのように捉えない見方もできるでしょう。つまり第三者の視点から、自分自身のことを「あなた」と呼んでいる構造の歌ともとれるのではないでしょうか。
その場合「あなた」は自分自身のことを指し、「他人」は自分から見た他の人という位置づけになるでしょう。
このように、掲出歌からは、自分と他者が複雑に絡み合っているような印象を受けるのです。一意に定めがたいところがありますが、むしろ複層的な感じがこの歌の世界をつくる上で功を奏しているともいえるのではないでしょうか。
「あなたの脳と生きつつ」という部分が挿入されたことによって、この歌は途端に複雑さと広がりを獲得しており、印象深い一首です。