押ボタン式信号と気付かずにここで未来をじっと待ちます
松村正直『駅へ』
松村正直の第一歌集『駅へ』(2001年)に収められた一首です。
押しボタン式信号は横断歩道のあるところにつけられていますが、その横断歩道を利用する人が多くない場合に押しボタン式信号がつけられているのではないでしょうか。
押しボタン式信号は、押さなくても一定時間経てば信号が変わるものと、押さないと変わらないものがあります。
掲出歌の「押しボタン式信号」は、ボタンを押さないと信号が変わらないタイプのものを詠っているのでしょう。
道を渡るために横断歩道の前に立ち、信号が変わるのを待っていますが、ボタンを押さない限り信号が変わることはありません。また「押しボタン式信号と気付かずに」いるわけですから、信号を変える術もありません。
つまりこの信号は永遠に赤のままであり、下句の「ここで未来をじっと待ちます」に展開していくのです。
ここでいう「未来」とは、直接的にいえば信号が青に変わる未来でしょう。先ほど触れたように、この未来は訪れることのない未来です。
押しボタン式信号に気づくか、もしくは信号機の誤作動で青に変わるなどがなければ、主体はここで「じっと待ち」つづけるでしょう。
道を渡る手段として、信号を無視して渡るという選択肢もあるでしょう。しかし、主体は無視して渡ることは選択せず、じっと待っているのです。そこに主体の律儀で真面目なところ、あるいは従順なところ、また忍耐強さといった面が垣間見えるように思います。
この歌は信号の場面を詠った歌ですが、「未来」という言葉から想像を膨らませ、主体の生き方そのものを表している一首と捉えることもできるでしょう。
自分が求める未来があるとして、その未来にどうやってたどり着くことができるのかといったことを考えさせられます。
求める未来が訪れるまで、特段の方策をとらずにじっと待つというのも選択肢のひとつでしょう。また赤信号を渡るように、ルールを無視してでもその未来に近づくという方法もあるでしょう。けれども、望む未来にたどり着くためのルートは、押しボタン式信号に気づくように、意外にも身近に存在しているのかもしれません。
横断歩道の前に立つひとりの姿が浮かび上がってきますが、このひとりの未来は今後どうなっていくのでしょうか。押しボタン式信号に気づくときがいつかやってくるのでしょうか。
信号ひとつから人生の未来までいろいろと想像することができ、広がりの豊かな一首だと思います。