人生の歌 #22

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人生の短歌

手水舎にみずはあふれて祈りとは生きたこと、生きつづけたいこと
鯨井可菜子『アップライト』

鯨井可菜子の第二歌集アップライト(2022年)に収められた一首です。

「手水舎」とは、神社で参拝する前に身と心を清めるための水が用意されている建物を指す言葉です。柄杓が置かれており、手や口を水で清めるあの場所ですね。

「手水舎」の読み方は複数あり、神社本庁は「てみずや」、大國魂神社は「てみずしゃ」、他に「ちょうずや」「ちょうずしゃ」と呼ぶところもあるようです。

掲出歌は、そんな手水舎の水と、祈りについて詠った歌です。

最初に「手水舎にみずはあふれて」とありますが、確かに手水舎では新たな水が次から次にあふれてくるようになっています。

身心を清めたあと参拝するわけですが、その参拝において「祈りとは生きたこと、生きつづけたいこと」という思いを抱いたのでしょう。

一般的に「祈り」といえば、目的が叶うように神仏に祈願することを指しますが、この歌ではまず「生きたこと」と詠われています。そして「生きつづけたいこと」と続きます。

祈りの目的はさまざまあるでしょうが、なぜ祈るのかという問いに対する答えとして、究極のところすべてが”生きる”ということにつながるからではないでしょうか。

「生きたこと」はこれまでのこと、つまり過去への感謝を表しており、「生きつづけたいこと」はこれからのこと、つまり未来への意志を表していると思います。そしての中間としての現在に、主体は祈りを捧げているのです。

人が参拝するのは祈りを行うためですが、祈りを行うのは、つまるところ生きているからなのだと、この歌から感じます。手水舎の水があふれていくように、生きるということは常に同じ場所に留まらず、時間的に流れていくものだというイメージが重なります。

そのような時間の流れ中で「祈り」とはその時々の出来事であると同時に、一生すべてを見つめる眼差しといえるのかもしれません。

祈りとは何であるかを丁寧に見つめる眼差しが印象に残る一首です。

手水舎
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