バスの来る方ばかり見てバスの行く方を私は見ていなかった
木下龍也『つむじ風、ここにあります』
木下龍也の第一歌集『つむじ風、ここにあります』(2013年)に収められた一首です。
バス停にいる場面を思い浮かべました。
バスを待っているとき、まだ来ないかなあとバスの来る方ばかり見てしまう気持ちがよくわかります。そのとき、バスが進んでいく方はあまり見ていません。そんな場面かと思います。
しかし、この歌を実際にバスを見ているだけの歌ととってしまうとあまり面白くありません。
そうではなく、この歌は人生について詠った歌だと読んでみたいと思います。
自分が今立っている場所を現在とすると、「バスの来る方」はすなわち過去であり、「バスの行く方」は未来を表すと捉えていいでしょう。
つまりこの歌を端的に述べると、「私」は過去ばかり見ていて、これから訪れるであろう未来を見ていなかったということを読んだ歌になるのではないでしょうか。
過去、現在、未来という時間の流れを、そしてそれを見つめる「私」を、バスという日常に登場する具体物で詠んだところに、この歌の魅力があると思います。
過去を振り返るなとはいいませんが、人は過去に生きることはできません。ですから、現在もしくは未来に目を向けましょうとはよくいわれることです。
結句が「見ていなかった」と過去形で語られているところに、現在はそうではないことが窺え、「私」は未来に目を向けることにようやく気づいたのかもしれないと感じます。
ただし、未来を見つめることが偉いといいたいのではありません。時間の流れというものがあるとして、どこを見て、どこを意識して生きていくのかは、その人それぞれが自らに問いかけながら、選んでいけばいいのだと思います。
何も難しい言葉が使われていない歌ですが、この歌が伝えようとしていることはとても深いと感じる一首です。