自らを抱き締めるとき余りたる腕のながさよ右と左と
阿部久美『ゆき、泥の舟にふる』
阿部久美の第二歌集『ゆき、泥の舟にふる』(2016年)に収められた一首です。
「抱き締める」といえば、通常は誰か相手がいると想像します。恋人かもしれませんし、家族や子どもかもしれません。
つまり、抱き締める側と、抱き締められる側がそこにいて、「抱き締める」という行為が成立すると考えていました。
しかし、ここで詠われているのはそのような複数の人々による「抱き締める」ではなく、「自らを抱き締める」場面です。セルフハグや自己抱擁といった言葉でいわれる行為かと思います。
先ほど、抱き締める側と抱き締められる側という表現をしましたが、抱き締める側が自分で、抱き締められる側も自分と思えば、それはやはり「抱き締める」という行為に他なりません。
さて、自分を抱き締めるのはなぜでしょうか。セルフハグをすると、心身の緊張をほぐし、ストレスを軽減し、自己肯定感を向上させる効果があるといわれています。これはもちろんセルフハグに関わらず、「抱き締める」という行為がもたらす効果でもあるでしょう。
その場に抱き締めてくれる相手がいる場合、抱き締めてくれたらいいのですが、そのときその場にそのような相手がいない場合、セルフハグが効果的なのでしょう。
主体は、「自らを抱き締め」たのですが、そのときに余った腕の長さに注目しています。「余りたる腕のながさよ右と左と」からは、単に長さにだけ注目しているというのではなく、わずかに物寂しさが感じられます。
もし抱き締め合う相手がいれば、腕は余ることなく、ちょうどよく互いを抱き締め合ったのかもしれません。しかし、自らを抱き締める状況では、相手の体がない分、どうしても腕が余ってしまいます。
「右と左と」という、わざわざ腕一本ずつを丁寧に捉えている表現が一層寂しさを増幅させているように感じます。
ただ、自らを抱き締めている状態を、寂しさ一辺倒に思っているわけではないでしょう。上で述べたように、セルフハグの効果はあるわけで、自らを抱き締めることで、寂しさが兆しはするものの、そのように感じる自分も含めて、すべて自己肯定できる安らぎが、ここにはあるのではないでしょうか。
「余りたる腕の長さ」が表すものは、単調な感情ではなく、結構複雑でいろいろな思いが交じり合ったものかもしれないと感じる一首です。



