人生の歌 #137

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人生の短歌

幸せは気の持ちようと思う朝人と光と風流れる駅
田中有芽子『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』

田中有芽子うめこの第一歌集私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない(2023年、新装版)に収められた一首です。

「幸せ」とは何かと問われれば、何と答えるでしょうか。

幸福について述べた古典的書物もさまざまありますが、特にヒルティ、アラン、ラッセルの3人の哲学者が書いた書物を「三大幸福論」と称し、これまでに多くの人々に読まれてきました。

もちろん、このような書物を読んで「幸せ」とは何かを会得することができる人もいるでしょうが、文字を追っているだけでは、実感としての幸せを感じることは中々難しいのではないでしょうか。

自らが幸せだと思うためには、自らの生きているそれぞれの状況において、自ら考え、自らがどう捉えるかということが重要になってくるのだと思います。

さて掲出歌では、幸せをもう少し単純に捉えて「幸せは気の持ちよう」と詠われています。このようにいわれれば確かにその通りなのです。たとえどんな状況であったとしても、自分が幸せだと思えば幸せであり、不幸だと思えば不幸なのです。そのとき、状況は一切変わっていません。状況をどう捉えるかだけが変化できる可能性があるのであり、別のいい方をすると、毎回いい方に捉えていれば、常に幸せであり続けることができるということでしょう。

イギリスの劇作家ウィリアム・シェークスピアに次のような言葉がありますが、この歌を読んでそれを思い出しました。

世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。

歌に戻ると、自らが幸せだと感じていれば、駅の風景の見え方までも変わってきます。「人と光と風流れる駅」は、とても明るさに満ちた捉え方だと感じます。しかも穏やかであり、争いの気配が感じられません。

大抵通勤ラッシュ時は、満員電車やごった返したホームの状況から、人々の言動も荒くなり、殺伐とした雰囲気を感じることもあるでしょう。

しかし、この歌は「幸せは気の持ちよう」と捉えた主体がそこに存在し、主体はまさに気の持ちようによって「幸せ」な気分になっているのだと思います。

現状を変えようがないのであれば、自らの考え方を変えるしかありませんし、幸せを感じたいのであれば、考え方を変えた方が早いのです。

気の持ちようでいくらでも人生は好転することを、この歌は教えてくれるようで印象に残る一首です。

明るい駅
明るい駅

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