耳朶をさわられているただじっとこの子が眠るまでの生け贄
山添聖子・山添葵・山添聡介『じゃんけんできめる』
山添聖子・山添葵・山添聡介の第一歌集『じゃんけんできめる』(2022年)に収められた一首です。
母と2人の子の合わせて3人による歌集ですが、掲出歌は母である山添聖子氏の歌です。
耳朶を触る、触られることを許せる関係というのは、よほど親密な関係であり、恋人であるとか、家族であるとかに限られるのではないでしょうか。もちろん友人同士で、興味本位や冗談で触ることがないとはいえませんが、長時間に渡って触り続けることができるのは、やはり限られた関係においてでしょう。
この歌では、子が、親である自分の耳朶を触っている場面ですが、子の眠りの前のようです。子は眠りにつくとき、親の耳朶を触ることで安心して眠りに落ちていくことができるのでしょうか。
頰をくっつけたり、おでこをくっつけたり、手を握ったり、入眠前の子と親のアクションとしてはさまざまあると思いますが、この親子の場合、耳朶を介して安心という感情が行き来しているのかもしれません。
さて、耳朶をさわることで、子にとっては安心を得られる状況ですが、親にとってはどうもそれだけではないようです。結句に登場する言葉「生け贄」がそれを物語っているでしょう。
神仏に捧げるお供え物としての生け贄ですが、子が眠るまではじっと動かずにいる自らの状況を生け贄に喩えているのでしょうか。捧げ物は暴れてはいけませんし、何より動くことすら遠慮されるでしょう。そのような状況は子が眠りにつくまで続いていくのです。
子が眠りに入った後、自分はようやく動き始めることができるのでしょう。それは生け贄から、生き物へ戻る瞬間でもあるのでしょう。
子の眠りという状況と生け贄という言葉との距離感が大きく、かといって荒唐無稽でもないところにこの歌の魅力があるのだと感じます。

