したいことたくさんあるけどわたしって「したいね」「したいね」でいいみたい
伊藤紺『気がする朝』
伊藤紺の第三歌集『気がする朝』(2023年)に収められた一首です。
“死ぬまでにやりたいことリスト100″みたいなものをつくるとよいといった話もよく聞きます。
生きていればやりたいことがたくさん出てくるわけですが、やりたいことというのは、裏を返せば、現在できていないこととイコールでしょう。達成できていないから、やりたいことリストに加える項目としての資格をもつといってもいいかもしれません。
さて、掲出歌でも「したいことたくさんある」と詠われているところは、ごく一般的な感じかとは思いますが、それに続く「「したいね」「したいね」でいいみたい」というところが、この歌のポイントでしょう。
やりたいことはたくさんあって、実際にそれらを達成するために行動していくというのではなく、やりたいことリストをつくって満足といった様子でしょうか。
つまり、やりたいことを想像する、それだけで満足といいますか、想像すること自体が一番楽しく、主体が求めていることなのかもしれません。達成することが主眼なのではなく、達成したときの様子を思い浮かべている自分が、何とも心地よい状況なのではないでしょうか。
ですから、頑張って努力して、自分を追い詰めてやりたいことを達成するのではなく、「したいね」という状態を維持している方が合っているのでしょう。それは、達成できないことの負け惜しみではなく、元々本気で達成する気はないのかもしれません。
やりたいことは達成してこそ完全なのだという考え方もありますが、やりたいことを想像するだけでいいという人もいることを、この歌は示してくれているのではないでしょうか。
主体は、自分が心地よい状況を最もよく理解しているのでしょう。
そこには、他人と比較してどうか、他の人が達成しているから自分も達成しないといけない、といった感情は全くないのではないでしょうか。
そういう意味では、自分軸をもって生きている一人の人間の姿がそこに現れている、そんな一首だと捉えてもいいかもしれません。
