人生の歌 #132

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人生の短歌

トーストを朝なさな置く丸皿を洗はず捨てるやうに生きたい
山木礼子『太陽の横』

山木礼子の第一歌集太陽の横(2021年)に収められた一首です。

「朝なさな」は毎朝という意味の言葉ですが、主体は毎朝トーストを丸皿にのせているようです。毎朝トーストを食べているのでしょうか、それとも家族や誰かの分を用意しているのでしょうか。とにかく、毎朝トーストを置くための丸皿を使っているのです。

使ったお皿は、食後に、あるいは次の日になることもあるかもしれませんが、一定期間の後、洗って食器棚や食器立てに仕舞われることがほとんどでしょう。

ですから、トーストのために使った丸皿も、使用の度に洗うことになるでしょう。丸皿を洗うという行為を毎日毎日繰り返している、そんな状況が主体の人生の時間の一部を占めているわけです。

しかし、主体はこう思っているのです。「丸皿を洗わず捨てるやうに生きたい」と。

どのように生きたいかと問われれば、トーストの丸皿を洗わず捨てるようにという直喩で、その答えを表現しているといってもいいでしょう。

お皿は洗えば繰り返し使えますが、お皿を洗わず捨てるということは、一回のトーストの食事につき、丸皿も一回しか使用できないことを示しています。

それは、毎朝新しい丸皿を使うということになりますが、今日の朝は昨日の朝とは違った場面、新たな朝の始まりを予感させるのではないでしょうか。

トーストを丸皿に置くという行為が日々繰り返されるということに、主体は正直うんざりしているのかもしれません。どこかでこの繰り返しを止め、何か新しい毎日を希求しているのかもしれません。

しかし、丸皿を一回使用しただけで捨てるということは現実的ではないでしょう。それゆえに、「丸皿を洗はず捨てるやうに生きたい」というのは、丸皿を毎朝捨てるという行動が実際に行われる可能性は少なく、その具体的な行動が行われないために、そのように生きていくことも、どこか希望の世界だけに留まってしまっているのではないかと感じます。

本当はそうしたいのだけれど、やはり現実はそうはならない、そのような前提のもとに、「丸皿を洗はず捨てるやうに生きたい」は表明されているように思えてなりません。

けれども、この歌に悲壮感は漂っておらず、現実化するかは一旦置いておいて、むしろ明るさを伴った印象を感じるのです。それは朝という一日の始まりであることも影響しているでしょうし、その朝に関連してどのように生きたいかが表現されていることによって感じる明るさなのでしょう。

色々な読み方があるかもしれませんが、求める生き方を興味深い比喩を使って表現した一首だと思います。

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