ただ生きてゆくことだけを意識して生きる折り畳み傘を持たずに
川島結佳子『感傷ストーブ』
川島結佳子の第一歌集『感傷ストーブ』(2019年)に収められた一首です。
なぜ生きるのか、そして、どのように生きるのか、これらは生きていく上でどうしても意識せざるを得ないものかもしれません。
掲出歌では、生きていくに当たり「ただ生きてゆくことだけを意識して」います。
「生きてゆくことだけを意識」するのは、大きく二つの方向が考えられるように思います。
一つは、生きているということ自体が、それだけでありがたいことだと感じ、「生きてゆくことだけを意識」することにつながっているという方向です。
もう一つは、それとは反対に、生きていく中でさまざまに発生する出来事の煩わしさを、あれこれと考えたくはないという方向であり、それらの煩わしい出来事に関わりたくないがために、「生きてゆくことだけを意識して」生きていくという意味合いにも採れると思います。
どちらにしても、「生きる」という行為の中で、生きることをそのものに焦点を当てて生きていこうとしているところに、生に向き合う真摯さのようなものが垣間見えるかもしれません。
「折り畳み傘を持たずに」がこの歌のヒントを示しているのでしょう。傘をもたないのは、実際の状況であると同時に、何かの暗示でもあると思います。折り畳み傘は、雨が降ったときに困らないように準備しておくものでしょう。つまり、事前に準備できる予防策を、ここでは敢えて放棄してしまっているのです。
折り畳み傘に代表されるようなものは、生きていく上で大切な何かを覆い隠してしまうのではないか、ひょっとすると、そのような思いが主体にはあるのかもしれません。
ちなみに、この一首が収められた一連には、”地震”、”震災”、”火災”、”豪雨”といった言葉が使われた歌がいくつか登場します。
あるいは、この歌でいう折り畳み傘のようなものは、天災の前においては、役に立たないものとして受けとられているのかもしれません。小さな予防策は、大きな脅威の前においては、無力に等しいのでしょうか。
そうであれば、そのような小さな予防策は不必要なのでしょう。この歌でいう折り畳み傘、すなわち小さな予防策を常に持ち歩くよりも、いっそのこと何も持たずに生きていく方が、よほど生きることに対して向き合っているともいえるでしょうし、生の実感をより一層感じられるのかもしれません。
難しい言葉は一つも使われていない歌ですが、読めば読むほど、詠われていることの深さを感じさせてくれる一首で印象に残ります。
