耳から生まれ耳に死にゆく人間の途中の耳とふれつつおもふ
河野美砂子『無言歌』
河野美砂子の第一歌集『無言歌』(2004年)に収められた一首です。
人の顔を見ても、目、耳、口、鼻、頰、眉、額など、さまざまな部位を取り上げることができるでしょう。そして、どれかひとつ自身にとって特徴的な部位を取り上げるとすれば、それは人それぞれ異なるでしょうし、思い入れも違うでしょう。
この歌は「耳」に注目していますが、それはこの作者がピアニストでもあることと無縁ではないと思います。ピアニストという立場であるからこそ、「耳から生まれ耳に死にゆく」という表現が生まれたといっていいでしょう。
この「耳」は、自分の耳でしょうか、それとも誰か他人の耳を指しているのでしょうか。どちらかははっきりとわかりませんが、誰か別の人の耳だとすると、その人も音楽を生業とする人なのだと思います。
音楽に携わる耳を、生涯もっていくのだという強い思いが感じられると同時に、そのような耳を生涯もたなければならないという、ある種の寂しさのようなものも見え隠れするように思われます。
生まれたときの耳のかたちと、死ぬときの耳のかたちは、きっと同じではないでしょう。それは単に耳の形状をいうのではなく、その人が生きてきた一生が耳のかたちを通して、映し出されるのかもしれません。
今は「途中の耳」ですが、耳は今後どのような変化をたどっていくのでしょうか。
その変化こそが、「耳に生まれ耳に死にゆく人間」の人生そのものといってもいい、そんな印象を与えてくれる一首なのではないでしょうか。
