理由などいつもあとからついてくるなだらかにうねる道のかたへを
三島麻亜子『水庭』
三島麻亜子の第一歌集『水庭』(2014年)に収められた一首です。
初句の「理由」とは何に対する理由を指しているのでしょうか。
具体的に何の行動かが書かれていませんので、人生そのもの、生きることすべての行いに対しての理由なのだと捉えたいと思います。
そうなると「なだらかにうねる道のかたへ」も、人生の長い道に思えてきます。「かたへ」は”傍ら”という意味もありますが、ここでは”一方”の意味として採っておきたいと思います。人生は逆戻りできず、一方向の道として浮かび上がってくるのではないでしょうか。
この径は直線で単調な道ではなく、うねった道であり、それはまさに人生そのものが一筋縄ではいかないことを表しているのでしょう。しかし、激しくうねっている道ではなく「なだらかに」というところに、主体がこれまで歩んできた道、そしてこれから歩むであろう道に対する認識が窺えるように思います。
上句は、道の途中にいるときは、その時々の行為に対する「理由」がわからなかったということでしょうが、道をある程度進むと、そのときの行為の理由がだんだんと明らかになるということなのではないでしょうか。
「いつも」に何度も何度もそのように「あとから」判明するという経験してきたことが表れていると思います。
道を進む中で、理由は初めからわかっていた方がいい場合もあるでしょうし、わかりたくてもわからない場合もあるでしょうし、後になってわかる場合もあるでしょうし、あるいは後になってもわからない場合もあるでしょう。
掲出歌を読むと、人生の道のり、そしてそれぞれの場面における理由の表れ方を改めて考えさせられるように思います。