生きてゐる間はせめて思ひたい他の生き方あるかもしれぬ
香川ヒサ『ヤマト・アライバル』
香川ヒサの第八歌集『ヤマト・アライバル』(2015年)に収められた一首です。
この歌は難解な言葉は使われておらず、その意味内容についても素直に受けとれば詠われている通りだと思いますが、詠われている内容が非常に面白い歌だと思います。
自分の生き方を見つめるとき、本当に今の人生でいいのかと考えたり悩んだりするケースもあるでしょう。もちろん、今生きている人生が一番だという人は、何の問題もなく大変素晴らしいことですが、一生において一度や二度、自分の生き方に疑問をもつ人が多いのではないでしょうか。
そういう意味においては「他の生き方あるかもしれぬ」は確かにその通りで、別の人生を考えるということは何も珍しいことではないかもしれません。
しかし、この歌の面白いところは上句の「生きてゐる間はせめて思ひたい」に凝縮されているでしょう。
他の生き方というものは、現状に納得がいかない状況で、思いたくなくても仕方なく思ってしまうことの方が多いように感じますが、ここでは「せめて思ひたい」と自らの意思がはっきりと打ち出されています。それがこの歌を成立させているポイントであり、思考の面白さを感じさせてくれるところだと思います。
他の生き方を思わなくても今の生き方で満足して生きていけるのなら、それに越したことはないと思うのですが、わざわざ他の生き方があるのではないかと思いたいというところからは、今の生き方に注力していないような印象がどうしても表れてしまうように感じます。
しかし、他の生き方については「思ひたい」の段階に留まっており、別の生き方を”したい”とまでは詠われていません。思うのと、そのように生きるのとでは大きな差がありますが、主体は単に「思ひたい」だけであり、実際に別の生き方にシフトしようとは思っていないのかもしれません。「せめて」には、行動はしないけれども思うだけは思いたい、そのように思う権利はあるのだといった気持ちが詰まっているように思います。
「生きてゐる間は」という限定も効果をあげているでしょう。生きているからこそ、自分の人生を見つめてしまうわけで、人生を見つめるのは生きている間だけなのはいわずともわかるのですが、その当たり前をあえて最初に提示することによって生まれる不思議な印象というものがあるのではないでしょうか。
平易な言葉で意味が取りづらい語もありませんが、読めば読むほど深さを感じる一首です。