朝戸出の風硬くして今日のわれ昨日のわれを引き継ぎにゆく
島田幸典『駅程』
島田幸典の第二歌集『駅程』(2015年)に収められた一首です。
「朝戸出」とは、朝、戸を開けて外に出ることを意味します。和歌の世界では、一夜を過ごした相手のもとを去る場合に使われた言葉です。
掲出歌は、朝外に出るとき風を受けたのでしょうが、その風が「硬くして」と詠われています。風は目に見える形状をもちませんが、主体にとってはやわらかい風ではなく、硬い風として感じられたのです。
風に対しては、冷たい、強い、激しいといった温冷、強弱に関わる形容はよく使われますが、「硬く」という表現はあまり見たことがなく、だからこそそこに独自性が生まれていると思います。
さて、そのような風を受けながらどのように展開していくのかというと「今日のわれ昨日のわれを引き継ぎにゆく」と続いていきます。
通常の時間の流れでいえば、昨日があって、その後に今日があるわけで、「昨日のわれ」が先にあって、その後に「今日のわれ」があると考えるのが一般的でしょう。
しかし、ここではその順序が逆転しています。まず「今日のわれ」があり、その「今日のわれ」が「昨日のわれ」の方へ向かっていく印象があります。昨日のわれが今日のわれへ引き継ぐのではなく、今日のわれが昨日のわれへ歩み寄って、「われ」そのものを引き継いでいるようなイメージです。
ですから、動いているのは「今日のわれ」であり、「昨日のわれ」は動かずに昨日の地点に立ち止まったままのような感じがあります。昨日のわれが今日の始点にやってくるのではなく、今日のわれが昨日のわれを迎えにいく、そのような状況が表れているのではないでしょうか。
昨日と今日との引き継ぎの主は昨日のわれではなく、あくまで今日のわれであるのです。昨日ではなく今日に焦点が当たっているところに、主体がどの地点を見て生きているかが見えてくるようにも思います。
待っていても、昨日のわれは今現在地点にはやってきてくれないのかもしれません。しかし、昨日のわれを全く無視して、今日のわれを生きていくこともおそらくできないのでしょう。そうなると、今日のわれが昨日のわれの元へいくしか方法がないのかもしれません。
「引き継ぎにゆく」という表現が、端的ながら的確にまた効果的に状況のイメージを助けてくれていると思います。
風が硬いという独特の表現、そして昨日と今日の対比と連続性、また時間的な方向性の面白さが詰まった一首ではないでしょうか。