風景のやうに己れの一生をながめてはならぬとかくは思へど
小笠原和幸『定本 春秋雑記』(セレクション歌人『小笠原和幸集』掲載)
小笠原和幸の第三歌集『春秋雑記』(2000年)の改稿版『定本 春秋雑記』(セレクション歌人『小笠原和幸集』掲載)(2003年)に収められた一首です。
自分の一生をどのように見つめるのか、その見つめ方によって自分の人生というのは変わっていくのかもしれません。
掲出歌は、「己れの一生を」「風景のやうに」「ながめてはならぬ」と詠われています。
「風景のやうに」とは一体どういうことでしょう。風景を見るとき、我々はどのような思いや状態でそれを見つめるでしょうか。
風景を見るとき、その心境は穏やかかもしれませんが、その穏やかさは、自分とは遠い存在として風景を見ているからかもしれません。ここでいう「風景のやうに」とは、自分自身と風景を直接的な結びつけをもって見るということではなく、他者を見るような目で風景を見ているということではないでしょうか。
そのように風景を見るとき、そこに熱量はあまり感じられません。ですからこの歌でいう眺め方とは、熱量なく「己れの一生」を「ながめてはならぬ」というようなイメージでしょうか。
結句に「かくは思へど」とあり、「風景のやうに」自分の一生を眺めてはいけないと思ってはいるのだけれど、どうもそのように見てしまう自分がいることを認めているのです。
しかし、本当は「己れの一生」にもっと向き合った見方、もっと入り込んだ見方をもって、眺めたいという思いがあるのだと思います。自分の人生に距離をとらず、もっと接近することで、自分の人生がより満たされる、そんな思いが滲み出ているように感じます。
「ならぬ」の否定、「思へど」の逆接、これらによって却って「己れの一生」への執着のようなもの、そして向き合おうとする主体の姿が感じられる一首ではないでしょうか。