約束をしないつもりで生きてきたでもあの人とは約束したい
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』
九螺ささらの第一歌集『日ゆめのほとり鳥』(2018年)に収められた一首です。
「約束」をするとは、あらかじめ互いに取り決め、将来それを変えないことを誓うことです。
約束は、相手を信用しているからするのでしょうか、それとも相手を信用していないからするのでしょうか。
約束をするということは、決断をするということでしょう。決断をするということは、複数の選択肢の中から選択するということであり、選択されたことをずっと維持していかなければなりません。
約束をしている状態と、約束をしていない状態を比較すると、約束をしている状態の方が制限や縛られている印象があり、約束をしていない状態の方が自由な印象があるのではないでしょうか。
掲出歌では、「約束をしないつもりで生きてきた」主体が登場します。約束というものが、自由度を奪ってしまうと感じていたのかもしれません。
ここで注目したいのは「約束をしないつもりで」というところで、”約束をしないで”ではないという点です。約束をせずに生きてきたといっているわけではありません。これまで約束をしなかったかもしれませんし、したことがあるのかもしれません。ただ、主体の思いとしては「約束をしないつもり」で生きてきたのです。ここには明確な意思があると感じます。
下句に移ると「でもあの人とは約束したい」と展開されていきます。
約束をしないつもりで生きてきたけれども、「あの人」とは約束をしたいというのです。
約束をしないつもりで生きてきた主体に、約束をしたいと思わせたもの、それは約束の内容というよりも、約束の相手が「あの人」だからなのでしょう。ここで「あの人」の存在が立ち上がってくるのです。
この歌の「約束」が何の約束のことをいっているのかは明示されていません。日常の些細な約束かもしれませんし、今後の人生の時間すべてに関わる大きな約束かもしれません。
この歌の「約束」を、例えば「付き合うこと」や「結婚」などといい換えてみるとイメージしやすくなるかもしれませんが、安易に置き換えないほうがいいでしょう。
「約束」という言葉がもつ意味やニュアンスだからこそ、歌に二度登場する「約束」が活きてくるのだと思います。「約束」は「約束」のままで、読み手はそのまま受け取るのがいい読み方なのではないでしょうか。
生きていく上で、約束が必要な場面や、約束をしたいと思う場面、約束をしたい相手は誰かなど、改めて考えされられる一首だと思います。