散らかしたまま書いている人生に誤字も脱字もそのままにある
小川佳世子『水が見ていた』
小川佳世子の第一歌集『水が見ていた』(2007年)に収められた一首です。
日記でしょうか、それとも依頼を受けた原稿の下書きなどでしょうか。
「散らかしたまま」は、文章を書いている部屋や机の上が散らかっているという意味と、「書いている人生」そのものが整理されたようなきれいなものではないという意味と、その両方を含んでいるように思います。
そして、その「人生」には「誤字も脱字もそのままにある」と詠われていますが、この表現がとても面白く感じました。
書いた文章を振り返ってみると、誤字もあれば脱字もあるということですが、現段階では特にそれを訂正することもなく、そのままに置いているということでしょう。誤字や脱字をそのままにしておいてもいい文章という点から、やはり公に見せる文章というよりも、日記のような私的なもの、あるいはまだ公開する前の下書きなどが適当だと思います。
面白いと感じるのは、誤字や脱字があるのは文章の正しさについていっているわけではないというところです。この「誤字」「脱字」は、主体の人生そのものについても想像させてくれるでしょう。
人生における「誤字」「脱字」は、どちらかといえば、人生そのものがうまくいっていない期間を指していると思います。「誤」や「脱」の字の通り、失敗したり、あるいは足りなかったり、そんな印象で振り返ることのできる人生を指しているのではないでしょうか。
そんな人生を「そのまま」にしておく、あえて修正しない、誤字や脱字のような人生をそのままに受け入れる主体の姿を浮かんできます。
一度も間違いのない人生なんてあるのでしょうか。
この歌は、人生に誤字や脱字があってもいい、そう感じさせてくれますし、心を少し楽にしてくれる一首だと感じます。