迷いたるわれの耳へと風の吹く正しいことを選ぶのではない
江戸雪『駒鳥』
江戸雪の第四歌集『駒鳥』(2009年)に収められた一首です。
生きているとさまざまな悩みや迷いがあります。
その度にすっと答えが出ればいいのですが、簡単には解決できなから悩んだり迷ったりするのであって、大抵はあれこれ考えたり、同じ思考を何度も何度も繰り返してしまって、なかなか結論にたどり着かない場合もあるでしょう。
掲出歌は、「迷いたる」という初句から始まります。この迷いは日常の些細なものかもしれませんし、あるいは人生全体で見たときに転換点となるような迷いかもしれません。この歌からはその程度は計り兼ねますが、歌になっている以上、少なからず主体にとって引っ掛かりを与えるほどの迷いであることは想像できるのではないかと思います。
さて、その迷っている「われ」の耳に風が吹いている状況ですが、そのとき主体は「正しいことを選ぶのではない」という結論に行き着いたのでしょう。あるいは、吹いてきた風が主体の耳に「正しいことを選ぶのではない」とささやいてくれたのかもしれません。
とにかくこの風が、迷いを解消するきっかけになったのでしょう。
人生におけるさまざまな選択において、何を選ぶのかはその時々で判断していくわけですが、そのときに何を重視して選ぶのかということは、選択における大きなポイントでしょう。この歌のこの状況の場合は「正しいことを選ぶのではない」というところが、選択の基準をも表しています。
「正しいこと」は一見正解のように見えますが、本当に「正しいこと」を選ぶことがいいのでしょうか。正しいことが必ずしも最善の選択であるかどうかは、やはりそのときの状況によるでしょう。
選択を迫られるとき、通常は自分にとって最善の選択をしたいものであって、正しい選択をしたいわけではありません。最善の選択と正しい選択がイコールになる場合もあるでしょうが、そうでない場合もあります。
この歌の「正しいことを選ぶのではない」というのは、正しくないことを選べといっているわけではなく、正しいか正しくないかを主要な基準にして選択する必要はないということをいっているではないかと思います。正しいか正しくないかは置いておき、自分にとって最もいい選択、最も納得できる選択をしてはどうか、この下句からはそのようなメッセージが感じられます。
もちろん、何をもって正しいとするかということも人や状況により異なるでしょう。しかし、自分にとっての正しさの基準に照らし合わせて物事を選択しがちであるとき、その判断基準による選択で本当にいいのかと、この一首は気づかせてくれるように感じます。