長生きができたらいいな ひまわりの黄は漆黒にあんがい似てるね
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』
早坂類の第一歌集『風の吹く日にベランダにいる』(1993年)に収められた一首です。
人は何歳くらい生きれば「長生き」といえるのでしょうか。
幼少の頃に思う「長生き」と、中年になってから思う「長生き」では、どれくらいが長生きかというのはおそらく異なるでしょう。
掲出歌は「長生きができたらいいな」と詠われています。何となく遠い将来の話であって、具体的に何歳までというのでもなく、「できたらいいな」程度の感覚が表れています。
さて、この歌でどう読むかが難しいのが三句以降の「ひまわりの黄は漆黒にあんがい似てるね」ではないでしょうか。
「ひまわりの黄」は、ひまわりの縁の花びらの黄色を指しているでしょう。ひまわりといえば黄色のイメージを浮かべる人が多いと思います。
では「漆黒」は何を指しているのでしょうか。漆黒という言葉から、夜や闇などと捉える見方もあると思います。ただ、ここではひまわりの中心部分の黒いところを指していると読んでみたいと思います。やがて種が取れる部分のことです。
黄が漆黒に似ているとはどういうことでしょうか。
縁の黄を華やかでプラスイメージの表出と考えれば、黒は暗くマイナスイメージの表出として、対比させることができるかと思います。
一見、対比的で異なるような黄と黒ですが、主体は「あんがい似てるね」と感じているわけです。
実は、”生きる”ということもこのようなことではないかということの表れかもしれません。人生、いいこともあれば、よくないことも起こるでしょう。それは黄や黒の対比のような事象でありながら、長い人生から見れば、もう少し上の視点から人生に起こるイベントとしてみれば、実はそれほど差異のないことなのかもしれません。プラスだと思っていたことがマイナスに展開したり、反対にマイナスだと感じていたものが後々プラスに働いたりということはあるでしょう。「あんがい似てるね」というのは、殊更差異を際立たせて感じるのではなく、人生の各所で起こる事象に対して、広く捉えている感じではないかと思います。
「長生き」をすればするほど、これら黄と漆黒、すなわちプラスとマイナスは、互いに均されていくのではないでしょうか。局所的、短いスパンで見れば、プラスマイナスのどちらかに偏ったり、その振れ幅は大きいのかもしれませんが、「長生き」によって、これらは「あんがい似てるね」といえるほどに感じられるのかもしれないのではないでしょうか。
「長生きができたらいいな」は長生きがしたいというよりも、長生きをすることによって、そのような見方を手に入れるようになりたいといった部分が大きいように思います。
読みが難しい一首ですが、心に引っかかる一首です。