だれひとり殺さずだれにも殺されず生き抜くことができますように
吉岡太朗『世界樹の素描』
吉岡太朗の第二歌集『世界樹の素描』(2019年)に収められた一首です。
人の一生というのは、短いといえば短いように思いますが、長いといえば長いでしょう。
その期間、何が起きても不思議ではありません。自らが望まないことが発生する可能性もありますし、どうすることもできない場面が訪れることもあり得るでしょう。
掲出歌は、外部要因による不都合が発生する可能性の高い人生において、最後まで無事生き抜くことを希求している歌だと感じます。
「だれにも殺されず」は、自らの身に危害が加わる状況からいかに逃れることができるかということを指しているのでしょう。
また「だれひとり殺さず」は一見自らの意思でコントロールできそうですが、誰かから強制的圧力がかかって、誰かを殺さなければならない状況となってしまう可能性もゼロとはいえません。映画の『バトル・ロワイアル』を思い出してもいいでしょう。またカッとなって結果的に相手を殺めてしまうということも、実際に起こり得ることです。
生きるとはこの世界の中で生きていくということであり、他者との関わりなしに生きることはできません。また生きているということはそれだけで誰かを傷つけたり、反対に誰かに傷つけられたりする状況に置かれているといってもいいでしょう。
ですから、誰も殺さず、誰にも殺されず生き抜くということは、ある意味それを達成するだけですばらしいことなのかもしれません。殺さず殺されず「生き抜くことができますように」という願いは決して大げさなものではなく、さまざまな危険や災厄があるこの世に生きている状況を考えれば、ごくごく自然に心の内から発せられる当然の願いのようにも感じます。
生きることは、自らの手でコントロールできない部分が多分にあるということを、この歌を読むと改めて気づかされるでしょう。
生き抜くことの難しさを深く考えさせられる歌であり、心に何度も問いかけてくる一首だと感じます。