人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
永田紅『日輪』
永田紅の第一歌集『日輪』(2000年)に収められた一首です。
この世に命を与えられた以上、好むと好まざるとにかかわらず、生きていかなければなりません。しかし、生きるというのはそう簡単ではありません。
生きていればいいこともありますが、悪いこともあるでしょう。生き難いと感じることもあるでしょう。悩みや不安など考え始めればきりがありません。
生きづらい理由は何なのでしょうか。
その理由はいろいろとあるでしょうが、掲出歌の上句「人はみな馴れぬ齢を生きている」に出会ったとき、妙に納得しました。
生きている瞬間は、過去でもなく未来でもありません。現在を生きるしかないのですが、その現在はマニュアルや解法が用意された現在ではなく、馴れていない現在なのです。
常に時間の最前線を生きること、それは「馴れぬ齢を生きている」ことに他なりません。
ですから、生きづらいのはある意味当たり前ともいえるでしょう。この上句は、そんな生きづらいと感じる心に対してやさしく語りかけ、わずかに心を軽くしてくれるのではないでしょうか。
下句では場面が描かれ、雨でもなく晴れでもない曇り空に、ユリカモメが飛んでいます。それは自由とも不自由とも受けとれる光景かもしれません。その様子は、馴れぬ齢を生きる自分の姿に重なるところもあるでしょう。
生きていくのがつらいと感じるとき、この歌はきっと心の拠りどころとなると思いますし、私自身が何度もこの歌を繰り返し愛唱してきました。
この歌は、生きることに対する直接の解決法が提示されるわけではありませんが、生きることに対する視野の広さを与えてくれます。
行き詰ったとき、声に出すだけでふっと心が軽くなる言葉。何度でも心に繰り返したいと思います。
「人はみな馴れぬ齢を生きている」と。